アメリカ(USA)スケートパークの歴史
「Z-BOYS」を知ってますか?
彼らは、1970年代にアメリカのサンタモニカとカリフォルニア州ベネチアから集まったスケートボーダーのグループ。正式な名称等は分かりませんが、ゼファー・コンペティション・チーム(Z-ボーイズ)Santa MonicaVenice, Californiaと呼ばれていたようです。この人たち「何者なのか?」というと、彼らはサーフィンの技を陸上で再現し、垂直(バーチカル)に飛んだり回転したりするアクロバティックなスタイルを確立し、「オールドスクール」と呼ばれる「技」を広めた「スケートボード・トリック」の元祖なのです。
(写真後列 左から)ショウゴ・クボ(Shogo Kubo),ボブ・ビニアック(Bob Biniak), ネイサン・プラット(Nathan Pratt),ステイシー・ペラルタ(Stacy Peralta),ジム・ミュアー(Jim Muir),アレン・サーロ(Allen
Sarlo),クリス・ケイヒル(Chris Cahill),トニー・アルヴァ(Tony Alva)
(前列 左から)ウェンツル・ラムル(Wentzle Ruml), ペギー・オキ(Peggy Oki),ジェイ・アダムズ(JAY ADAMS),ポール・コンスタンティノウ(Paul Constantineau)
1976-77年は、南カリフォルニアが未曾有の「大干ばつ」で、カリフォルニア史上、最も乾燥した年となったそうです。そのため節水で住宅の庭のプールに水を溜めずに「空っぽ」にしていたほどなのです。その空のプールのコンクリートの壁がスケートボードの滑走にピッタリだったのです。
この頃は、サーフィンブームでしたが、彼らは新たな「スケートボード」のカルチャーを始めた人たちということで、今でも名を残しています。
オリジナルメンバーに日本人がいた!
上写真の一番左、ショウゴ・クボ(Shogo Kubo)という青年が写っています。彼は、日本の鹿児島県に生まれ、幼年のときにスケートボードを始めたそうです。その後、アメリカに渡り、ジェイ・アダムスと知り合って「Z-BOYS」としてオリジナルメンバーになったようです。当時、まだ有名ではなかった「Nike」のバスケシューズ「ブレーザー」を彼らは、1970年代からスケートボードのライディングのときに履いたとのことです。それからボーダーたちに人気が高まって世界ブランドになったそうです。2005年作品のアメリカの伝記ドラマ映画『ドッグタウンの貴族たち』で、久保役をプロスケートボーダーの「ドン・グエン」が演じた。その後、久保氏は1980年頃にはハワイに移住、2007年には、ナイキのスニーカーのデザインも手がけたこともあったらしい。その数年後、ホノルルのハワイ・カイにあるポートロック・ポイント沖でパドルボード「SUP」を漕いでいるときに、意識不明の状態になったそうです。そのとき54歳の彼(久保翔吾氏)は、脳動脈瘤が破裂して「くも膜下出血」を起こし亡くなった。
現在のスケートボードにおいて、ボウル(椀型)やバーチカルランプ(U字型ランプ)の基となるプールライディングを生み出したのも「Z-BOYS」であり、かの有名なDOGBOWLと名付けられたプールは、メンバーのひとりが病気になったため、その子の父親が、自宅のプールを何カ月もの間、プールに水を溜めない「空っぽのプール」を彼らに解放したそうです。彼らは、友人の家で、当時、厳しい警察の目を気にせずに好きに滑れる場所があれば、数カ月の間にスケートボードの「トリックレベル」が、日増しにレベルアップしていったことは言うまでもありません。
そして「Z-BOYS 」たちのスタイルは、1960年代の滑り方を引きずっていたスケートボード界に大きな衝撃を与えたことだったのでしょう。
横暴で喧嘩っ早く、危険な雰囲気を持ちながらも、圧倒的なテクニック・スキルでクールかつ大胆なライディングを見せる当時の「Z-BOYS」たちは、偉大なカリスマ性を放ち、瞬く間にこの地域の若者たちのアイドル的な人気を集めたことになったのでした。
※ナイキ SB(NIKE SB)は「NIKE SKATEBOARDING」の略

